芸どころ博多
博多は芸どころ。ミュージシャン、俳優、コメディアン、輝くタレントたちがここ博多から誕生しています。その大先輩川上音二郎は明治時代におっぺけぺー節で自由と民権を説いて一躍人気者に、その後エンターテイメントに尽力、新演劇の父として演劇史にその名を刻んでいます。
そもそも、博多はいにしえより国際貿易港として躍動的な役割を担ってきた土地柄、人、物が賑やかに行き交う商都でした。いまでいうダイバーシティの様相を呈した社会だったかも。博多っ子は人を楽しませるのが大好き。互いの信頼関係を築くのに笑いや芸能はとっても有効な手段でした。
昭和前半の時代、商都を支える旦那衆たちにとって、コミュ力はなにより大事、お座敷は大事な社交の場でした。気の利いた芸で場を沸かせることができれば旦那の株はグッと上がるというもの。
芝居見物をしてはその名場面を再現してみたり、博多仁和加はもちろん、筑前琵琶、博多独楽も稽古したとか。三味線は何丁も持っていて、従業員たちも巻き込んで、どんたくに繰り出し通りもんを楽しんだといいます。
博多那能津会は、博多の旦那衆が愛した博多古謡を保存するべく、昭和27年に創設されました。初代会長は、故石橋源一郎、お座敷遊びを心得た博多の粋な旦那衆の代表格として語り継がれる人物です。